Jivamukti yoga 9月のマンスリーフォーカス

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9月のマンスリーフォーカスは ”魔法のクッキング”。
毎日の食事との向き合い方は、大切なスピリチュアルな練習の第一歩です。

 

Brahmarpanam Brahma-Havir / Brahmagnau Brahmana Hutam /
Brahmaiva Tena Gantavyam / Brahma-Karma-Samadhina

全てに神は宿ります。神は柄杓(ひしゃく)、神は食べ物でもあります。神は火であり、神が調理をして、神が食事をします。神の為に食し、神とは辿り着く目的なのです。
バガヴァッド ギータ第4章、24節
Bhagavad Gita 4.24

私にとって初めてのスピリチュアルの先生であり、錬金術師のランディ·ホール師に”どうすれば悟りを開けますか?”と尋ました。彼は“まず初めに料理、掃除そしてガーデニングを学ぶ事です。”と答えました。私は彼の答えがスピリチュアルさに欠けているとがっかりして、疑いを持ち、まじめに受け止める事が出来ませんでした。
料理をする? 私自身がせっかちで痩せているタイプだったので、食事自体を軽蔑し、摂食を出来るだけ減らして空気のみで生活していこうという意志を持っていたのです。それなのに、何故か先生は私に料理を習う様にいいます。一体どんな意味があるのか? 掃除とガーデニングについても同じような疑問を感じていました。

その何年間も後に、先生のアドバイスから得られる素晴らしい知恵を理解しました。   料理の仕度、そして調理をする事とは魔法の様であり、強力な、錬金術的な過程を通じて1つの要素が他の形へと変化します。多種の成分が巧みに組み合わされ、水,火、空気を丁度良い割合にするには適切なタイミングを必要とします。 調理をする者の良い精神的な心構えも大切です。キッチンでは 噂話やくだらない会話はありません。美味しい食事は、魂と心身を満たします。

料理本とは、この魔法の様な過程、多くの方法がまとめられた完全な調理法、提案、アドバイスが集約された本です。読者がもしも、冒険心を持って陽気にレシピを作れたなら、食卓では最も楽しい料理を提供する事が出来ます。この様な心構えによって用意された食事は自己、そして他者に対しての知覚を変える事が出来、人生の向上への希望に繋がるのです。

この魔法を最も効果的に叶えるには、食材と作り方に意識を向ける事が不可欠です。肉、卵、乳製品を食する事は、肉食文化に慣らされ、動物を利用した産業の利益を高めます。私達自身の体が持つ自然な知性からは絶え離れ、自身の健康、環境を滅ぼし、残虐な動物の奴隷化、搾取と虐殺を招きます。そしてこの行為は必ずいつか私達自身へと戻ってくるのです。

私達が完全菜食主義を取り入れる事は、私達の生活の中に思いやりを導きます–私達の身体と周囲との関係への思いやり。ヨガではまず最初に、周囲(他者)に自身の望む物を提供出来れば、全てを手に入れる事が出来ると教えます。私達が自由になりたいのなら,他の自由を奪い、資源を無駄遣いし、他を貧しいままにしている限りは目的に辿り着く事は出来ません。食事を選ぶ時に思いやりのある選択をする事は、私達自身の幸せと自由を確実にする為の、最も基本的は方法です。

調理をする時の心の状態も、料理に影響します。機嫌が悪い時には、台所にいない事をお勧めます。マイナス思考を減らして高い意識を持つために、お祈り、又はマントラを調理する前、している時、食事をする前に唱えましょう。お祈りをする事によって高い意図を定め、神の力に寄って私達を自我のない良い目的へと向かう事を、懇願します。

私達は調理の過程でも、食事をする時にも、至高の意図を忘れず、心に保ちましょう。高い意識を保つ事は、台所を取り巻く微妙な毒素(怒りやせっかちさ)と表面化された毒素(汚れや細菌)の両方を浄化します。台所を神の宿る聖なる空間、悟りへの戸口としてみるのです。台所とは寺院で、鍋、フライパン、調味料,穀物、果物,野菜、オーブン、スプーン、ナイフ、器、お皿の全てが意識を持つ神の一部であり、食事を作るという錬金術の過程に参加する機会を待っているのです。貴方自身の魂の火を、食事を加熱する要素の一部にするのです。

今私達の誰もが出来る、最も勇敢な行為とは、他者–動物、地球、全ての生きとし生ける者を気にかける事です。自己を中心にするよりも他者(物)を中心にする事は幸せへの第一歩です。完全菜食主義の食材を選び,純粋な意図を持って調理する事で、美味しいだけではなく、平和で喜びに溢れ、全ての生命との共存のための、貴方自身の革命行為が始まります。

シャロン ギャノン–simple recipes for Joy September 2014
翻訳 クマリ、パドミニ



5月のJivamukti yoga

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5月のJivamukti yoga のマンスリーフォーカスは、私達の真実の姿を囲う体、ヨガでいうパンチャコーシャ(5つの鞘)をテーマにしています。

個人的にも大好きなテーマです。

私達は普段、身体を持って5感で認識する外的世界を認識しながら日常を行いますが、この身体、5感の内側にはエネルギー体や感情体、知性体と層になって中心に向かい、その中心にはアートマン、魂の存在、真実の存在があります。

そして、アサナや呼吸法、バンダやムドラ、クリヤヨガやバクティ、音のヨガ、聖典に学ぶ事や、8支即の実践等を通して、魂の存在を知らないといった無知や、自己中心的に物事を考えるエゴを浄化し、真実の存在、至福の存在自体と繋がるのです。

5月も、1ヶ月かけてこのテーマと向き合い、学びを共に深めて行きましょう。

5/10は代官山のプレジュアにてWSを行いますので、その際にコーシャについてレクチャーを行います。

WS詳細;http://pleasure-yoga.co.jp/jivamukti

水曜日の10:30から池袋のニルヴァーナでレギュラークラス http://nirvana-yogastudio.com/index3.html

金曜日の10:40から代々木のアンダーザライトにてレギュラークラス http://www.underthelight.jp

 

シャロン先生からのマンスリーフォーカスの方も、是非ご覧下さいませ。

今月も、皆様が良い知識を得られます様に。

真我が持つ体達

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聞く事や思考を巡らせる事により、そして瞑想を行う事によって真我の光を照らし、この光によって金が精製されるかのごとく、個々の存在である”自己”という不純物を解き放ち、その光は宇宙へと繋がって行くのです。

アトマーボダ 66 節 訳;シュリ ブラマナンダ サラスワティ

”私達は、何を食べるか次第なのだ”と、よく言われます。ヨガの哲学では、私達の身体は5つのエレメント(大地、水、火、空気、エテール/天空)から出来る食物によって作られている、といわれています。サンスクリット語では、私達のこの物理的な体を”アナマヤコーシャ”といい、アナとは食物を意味します。ヨガの哲学では、この他に4つの体があると言われています。
エネルギー体;プラナヤマコーシャ、感情から形成される体:マノマヤコーシャ、知識から形成する体;ヴィジャナマヤコーシャ、最も内側にある、至福から構成する体:アーナンダマヤコーシャ。

この5つのコーシャ(体)は一つとなり、私達が生きて行く上での主観的な体験を構成しますが、あくまでも私達の真の姿(本当の姿)を囲う鞘なのです。私達の真の姿はアートマン(真我)、永久の魂であり、この5つの体の中に潜んでいるのです。
5つの体は魂の伝達手段のための形であり、それは独自のアイデンティティを提供して、周囲との経験を行う事によって意識の進化を促すのです。周囲との相互作用は5つの体に影響を与え、真我(アートマン)を明確にする助けともなり、又は妨げにもなりうるのです。

サッチダナンダ- 存在、知識、至福- とは、私達の本来の性質であり、全ての生きとし生ける物に宿る真実なのです。自己のカルマ、そして他や自らをどの様に扱うかによって、この全てに宿る真実(サッチダナンダ)の性質は隠されてしまう事にもなりうるのです。

ヨガの練習目的は、私達自身や周囲、そして最終的には神への認識を浄化する事であり、真我の鞘となる体を浄化する事によって、私達が離ればなれで存在しているという間違った認識を見抜く事です。(真我とは私達全てが一体化している状態なのです。)

身体から精神(スピリチュアル)の本質が分離しているというのは幻想です。私達の精神(スピリチュアル)体は身体よりも遥かにリアルだという事が真実です。私達がスピリチュアルな体験をしているのではなく、逆に精神体が物理的な経験をしているのです。身体の寿命は、永遠に続く真実の魂に比べると短いです。人々は多くの場合、物理的な存在を現実とみなし、精神(スピリチュアル)を非現実的な存在とみなすといった間違った認識を持ちます。実際にはその考えの逆なのです。精神(スピリチュアル)は永遠の現実であり、物理的な存在とは一時的な非現実なのです。

物理的な存在は、その根底にある微細な原因なくして存在する事は出来ません。私達の行う全てのカルマ(行為)は、体にその印象(凹み)を残します。自己中心的なカルマを行う事は、物理的な事柄と分離観念のみを強め、精神(スピリチュアル)から離れてしまいます。私達が愛と他を思いやる心を中心に行為(カルマ)を行った時に、物理的な身体は明るい光と透明感に導かれ、私達の真我は目覚めて全ての体が照らされるのです。

無知(アヴィディヤ)という汚れが自己の体から除去されると、アートマンは輝きます。ヨガの練習は5つそれぞれの体を浄化します。
アナマヤコーシャ(身体)はヴィーガンダイエット、アサナ、ナダム(音のヨガ)とバクティ(献身)により浄化。プラナヤマコーシャ(エネルギー体)はクリヤ(浄化法)、プラナヤマ、アサナ、ムードラ、バンダ、ナダム(音のヨガ)、バクティ(献身)により浄化。マノマヤコーシャはサットサンガ、チャンティング、アサナ、ムードラ、バンダ、ナダム(音のヨガ)とバクティ(献身)により浄化。ヴィジャナマヤコーシャはサットサンガ、チャンティング、ニヤマ、瞑想、ナダム(音のヨガ)とバクティ(献身)により浄化。アーナンダマヤコーシャはサマディ、喜び、ナダム(音のヨガ)とバクティ(献身)により浄化。

自己を浄化して行く道を選択するという事は、真我と神を追求するという凛々たる意志を持ち、私達が今現在リアリティーと捉えている全てを解き放つ心構えが必要になるのです。

-シャロン ギャノン
翻訳:クマリ、パドミニ

 



4月のJivamukti yoga マンスリーフォーカス

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4月も皆さんにとって、気づきの多い日々になります様に。

逆転のアーサナ

全てのアーサナの中でも逆転のアーサナが最も大切なのには、幾つかの理由があります。これらのアーサナのポジティブな効果を肉体的、心理的、スピリチュアルにおいて、多々のレベルに感じる事が出来ます。逆転のアーサナは体内の多くの器官をバランスのとれた調和へと導き、肉体においてだけではなく、エネルギー体、感情体、精神体における調和を育み、スピリチュアルの発達を促します。逆さまになる事で身体の健康状態を向上させ、老化の過程を減速し、筋肉や皮膚を引き締め、血液循環と呼吸を改善し、消化力を改善し、骨の密度を増加し、免疫力を強化して、ストレスや不安を癒し、自分自身への自信を高め、チャクラを刺激して、平静と幸福を感じ、ポジティブ思考になり、スピリチュアルを拠点とする様になるのです。逆立ちのアーサナの練習が、悟りにも繋がるのです。
どうしてその様な事が言えるのでしょうか?

何故ならば、逆転をする事によって身体が逆さまになると、重力の働きが内臓を引き締める強力なマッサージとなるからです。こういった刺激を促す動きによって、停滞していた器官の働きは活性化され、内臓は解毒されます。この様に内臓器官から活性化されると、筋肉や皮膚にも高い効果が表れます。身体を逆さまにする事で大地との相対位置も逆転し、この位置を保つ事で骨は強化され、骨密度の増加を促します。

逆転のアーサナは心臓の働きを活発にして、静脈の流れを促進します。多くの専門家達は、逆転のアーサナは有酸素運動と同じ様に健康な心臓を保ち、循環も向上させると述べています。

通常では動脈によって、新鮮な酸素が含まれた血液が全身を循環した後に、静脈は筋肉の働きに頼り、重力に対抗しながら血液を心臓に戻します。身体を逆転させると、この静脈の流れが難なく起こります。そして、足の静脈瘤を防ぐ事が出来ます。

身体が逆さまになると、心臓を休ませる事が出来ます。通常心臓は一日中、朝も夜も重力に対抗して、酸素を含む血液を脳や身体全体に循環させますが、身体が逆さまの状態では、血液循環は心臓に頼る事無く出来るのです。

逆さまになる事でリンパ系を全て刺激し、免疫力を強化する事になります。逆さまになる事で内分泌腺、特に下垂体および松果体を刺激し、それによって細胞の代謝を調整するホルモン分泌を促し、心身に健康、調和、明瞭さや活力、楽感をもたらします。

私達の身体をひっくり返す事で、私達の世界は逆さまになります。逆さまになる経験によって違った視野が与えられて、物事の見解は広くなります。いつもは当たり前に考えていた事が覆されます。この様に見方が変わる事によって、今までは認識する事のなかった精神を呼び起こす事になるのです。

この新しい角度からの物の見方を完全に経験するためには、心身共にリラックスさせ、信念を持って神に身を委ねる必要があります。

逆立ちを通して私達は、復帰する様な、生まれ変わる様な経験をする事が出来ます。特に、シールシャサナでは地上面がアーサナの席になるので、地球、私達の源、大地の母の子宮に戻る様な体験に導かれるのです。

その結果として、想像力を再び復活させます。身体的に、心臓(ハート)を頭(脳)より高くする事によって、合理的な知的判断に頼るのではなく、心(ハート)を優先する事になるのです。

主要な逆転のアーサナはシールシャサナ(頭立ち)、サランバーサーヴァンガサナ(肩立ち)、ハラサナ、アドムカヴリックシャサナ(ハンドスタンディング)、ピンチャマユーラサナ、ヴィパリータカラーニです。毎日練習するべきアーサナでしょう。ジヴァムクティの14ポイントを含んだ1-2時間のヨガのオープンクラスを受ける時間がない日は、せめてインヴァージョン(逆転のアーサナ)を練習しましょう。特に頭立ちと肩立ちが大切です。最低でも、各5分間ずつ行いましょう。その時間すらないなら、ハンドスタンドを壁を使ってでも25呼吸保ちましょう。大切なのは、一日に1度は逆さまになるという事なのです。(例外は生理中の女性です。生理中は大地へ下降するアパナを逆立ちによって邪魔しない事が大切です。)

シールシャサナがアーサナの王様と呼ばれるのは、最も大切なアーサナだからなのです。それぞれのアーサナはチャクラに影響を及ぼし、頭立ちはサハスララである頭頂部のチャクラを刺激します。頭頂部にあるチャクラのカルマ的な関係は、私達自身と神との関係です。意識とは化学で、頭立ちは脳内の下垂体と松果体を刺激、意識を拡大させる原因となるホルモン物質を放出するために、世俗的な心配事を手離して宇宙意識へと導く機会が与えられるのです。逆転は神へのドアを開くのです。

シャロン ギャノン
翻訳;クマリ、パドミニ



バクティ(献身)は全ての切り札

 

今日のブログタイトルは、今月のJivamukti yoga のマンスリーフォーカス”バクティ(献身)は全ての切り札”です。

今月もUTLさんで沢山代行を入れてもらっているので、UTLやニルヴァーナでのレギュラークラスに加え、多くの方々とシャロン先生からのこのテーマをシェア出来て幸せです。

ヨガの本来のゴールである神様と結びつく事、自分よりも高い意識との繋がりを目指した練習をするという意識を持ってのヨガの練習は、私達のポーズが出来る出来ないといった身体的な限界や、自分はこうでああでといった個人としての限界の先の先に意識を持って行ってくれます。

 

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そして、明日は私にとって生まれて初めての“FLOWARTS YOGA TTC卒業生のスタジオ”でWSを行う日です。。。

代官山のヨガスタジオ”Pleasure"は、FLOW ARTS YOGA TTC level1、そしてインドでのTTCには3回も来てくれたみかこちゃんが主宰するスタジオです。勉強家の彼女はイシュタヨガを500RYTまで学び、昨年美しいスタジオをオープンしました。

スタジオURLはこちらです。

http://pleasure-yoga.co.jp

3月のマンスリーフォーカスです。

バクティ(献身)は全ての切り札

神は物質的な世界を常に中心とする者、間違った観念で行為の道を歩む者の心に宿らないのです。
シクサ パトラ 32.4 訳 シャムダス、ヴァラダス

練習者は、神を認識するというヨガの究極の目的を見失わないように勤めねばなりません。何をする時にでも神を心に抱き、神の為に尽くす事を心と頭で最優先させて全ての行為を行うのです。私達が “私をあなた(神)の意志の使いとし、私を怒り、嫉妬、恐怖から解放し、喜びと思いやりの心で満たして下さい” と願う時、神様に私達自身の心に宿り、神の使いとして下さいと頼んでいるのです。その嘆願は私達の心の中に謙虚さを招き、自分自身をプライドや行為を行う者として認識する事から、神こそが究極の実行者という認識へと移行して行くのです。

最も簡単にジヴァムクティヨガを定義すると、” 全ての生き物に対しての思いやりを保つ心を通して、悟り(エンライトメント)を目指す道”となります。バクティ(献身)とアヒンサ(非暴力)の両方がジヴァムクティヨガの定義ですが、アヒンサの実践の手段のために、世界を救うために、又は日常の中で思いやりの心を養うためなどの理由によって、献身よりも非暴力を促進する、動物愛護や完全菜食主義、環境保護などの活動に没頭しがちです。活動を最優先して神への献身をおろそかにしてはなりません。 献身をおろそかにする事で、プライドや怒り、復讐や焦りなどの衰弱を引き起こし、無知(アヴィディヤ)とエゴ(アスミタ)に消費されてしまいます。

完全菜食主義者になり今まで隠されていた真実を知ると、かなり強度のカタルシス(心の中に溜まっていた澱(おり)のような感情が解放され、気持ちが浄化されること)を体験します。
今までは 疑う事も無かった動物差別を基盤とした文化、動物達を奴隷として命を搾り取り食し、地球の資源を金儲けといった欲望のために消費している、そういった真実に目覚める事によって動物保護活動に熱意を掲げ、心身を没頭する事は驚く事ではありません。

今までは通常だと理解していた事が、実際には偽りだったと悟った時にあなたの世界観は逆転し、活動主義へとやる気が出て来るでしょう。

思いやりの心に対して情熱を持つ事は良い事であり、この情熱は愛育し、敬意を保って育みましょう。だけれども、自分だけの力で世界を救うという風に目的を掲げてしまうと、傲慢さを招く事になります。

カルマヨガとは無我の奉仕だという事を忘れない様にして下さい。バガヴァッド ギータの中で説明されているように、カルマヨガとは行動の成果を完全に放棄する事を示します。カルマヨギは無我に行動し、その行動の成果を放棄し、謙虚に何の報酬も感謝をも求めないのです。

他者の生活の向上を目指し、この世界をより良い場所 にする事について無関心になれといっている訳ではありません。その逆で、私達自身の生活が他者の生活の向上へと繋がり、動物や地球への残酷な利己的搾取のあらゆる形態の廃止に繋がるライフスタイルを促進するべきなのです。

私達がもしも神を忘れてしまい、思いやりの心を基にしているとはいえ”活動”の旋風のみに身を任せてしまうと最終の目標を見失い、名声の無き努力への不満、無知とエゴの泥沼を体験する事になるのです。

この解決策は献身の心を保って、全ての考え、言葉、行動を神に捧げ、自らが慈悲の心を育むように努力する事です。謙虚さを忘れずに、全ては神によって可能となっている事を忘れない事です。全てを自らが独りでやるという考えをしない事です。何事にも執着せずに神の使いとして、彼の意志の道具として行動する事です。あなたが神の恵みの導管になれた時、周りはあなたへと同感し、あなたの可能性が広がるのです。

神に身を任せ、行動し、その成果が自己の努力で得られたものにせよ、全てをまた神に捧げる事です。あなたの努力の成果を認められたら、即時に神に、 “すべての光明をクリシュナに”とその賛美を捧げる事です。クリシュナに奉るのは宗教的ならば、せめて限界のある自己を超越する、高い意識の存在を認められる謙虚さを持ちましょう。

~シャロン ギャノン
翻訳;クマリ、パドミニ

 


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